中学歴史の「平安時代」藤原氏の系譜がポイント!

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中学歴史の「平安時代」についてまとめています。藤原氏の活躍がポイントです。その平安時代は、桓武天皇が、784年に長岡京(京都府)、794年に平安京に遷都して、以後、12世紀末までの約400年間が平安時代です。

藤原氏と摂関政治

藤原氏系譜

藤原氏系譜

大化の改新で活躍した中臣(藤原)鎌足の子孫である藤原氏は、9世紀ごろから対抗する有力な貴族を朝廷から次々に退けて、勢力を伸ばしました。

また、娘を天王の妃にして、その王子を次の天皇に立てて外戚(母方の親戚)となり。しだいに朝廷での権力を独占していきました。

藤原氏は、外戚として、天皇が幼いときに摂政、成人したのちに関白となり、朝廷での実験をにぎって政治を行いました。これを摂関政治といい、866年、藤原良房が清和天皇の摂政に就任し、887年には藤原基経が宇多天皇の関白となり、これが摂関政治の始まりです。

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藤原氏VS豪族

  • 承和の変…842年、藤原氏は、伴健岑(とものこわみね)が謀反(むほん)をくわだてたとして、隠岐(島根県)に流しました。
  • 応天門の変…866年、放火事件を利用して、大納言の伴義男(とものよしお)と紀(き)氏を政界から追放しました。
  • 菅原氏追放…901年、右大臣の菅原道真を九州北部の大宰府に追いやりました。

摂関政治

摂関政治は、11世紀前半の藤原道長・頼道父子のときに全盛となりました。このころ、地方政治をほとんどおこわず、国司に任せきりでした。国司の中には、農民や豪族に重い税を課したり、土地を取り上げたりして富をむさぼる者も現れました。
確認高校入試歴史のよく出る政治のしくみ(摂関政治と執権政治)の比較と違い

国風文化

国風文化は、日本の風土の生活に合った優美で細やかな貴族文化でした。有力な豪族は、自然の美したを取り入れた日本風の広大な寝殿造の邸宅に住んでいました。

<おもな文学作品と作者>

分野 文学作品 作者
物語 源氏物語 紫式部
竹取物語 不詳
随筆 枕草子 清少納言
日記 土佐日記 紀貫之
和歌集 古今和歌集 紀貫之ら
歴史 大鏡
栄花物語
説話 今昔物語集

参考中学国語の「枕草子(古典)」(練習問題付)

藤原道長

原文「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」
現代語訳「この世は自分のためにあるようなものだ、満月(=望月)の欠けたことが無いように」

1018年、後一条天皇に自身の娘威子(いし)を嫁がせます。この祝いの席で望月の歌が歌われたのです。道長の望みが叶い、藤原氏としても絶頂期を迎えた時期の歌ということになります。

新しい仏教

平安時代の804年以降に、新しい仏教を唐から最澄と空海が伝えます。

  • 最澄…比叡山に延暦寺を建て、天台宗を広めます。
  • 空海…高野山に金剛峯寺建て、真言宗を広めます。
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