中学歴史「日清戦争と日露戦争」比較|きっかけや条約

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日清戦争と日露戦争のきっかけや条約など比較まとめです。入試でもよく出題されるところです。確実に、それぞれ出てくる事柄が、日清戦争と日露戦争のどちらに関係するのか整理しながら覚えていきましょう。それでは、日清戦争と日露戦争のきっかけや条約など比較まとめです。

日清戦争と日露戦争

戦争 日清戦争 日露戦争
年号 1894 1904
きっかけ 甲午農民戦争 義和団事件
条約 下関条約 ポーツマス条約
戦後 三国干渉 日比谷焼き討ち事件
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列強諸国の関係図

日露戦争

日露戦争をめぐる列強諸国の関係


ロシアは、義和団事件の鎮圧後も満州(中国東北部の東北三省の旧称)に軍隊をとどめて、さらに韓国(1897年に朝 鮮は国号を「大韓帝国」とした)への進出をねらっていたため、韓国を勢力下におこうとする日本と対立した。その一方で、ロシアは南下政策をとり,中央アジア・イ ンド・中国をめぐってイギリスと対立するようになった。そこで、ロシアに対して共通の利害をもつ日本とイギリスは、1902年に日英同盟を結んでロシアの南下政策に対抗した。また、ロシアの中国進出をこころよく思わないアメリカ合衆国も、この日英同盟を支持した。日英同盟を結んだことで、日本とロシアの対立は決定的なものとなっていった。

国民負担

日露戦争直前、ロシア軍は満州(中国東北部)に駐屯し、満州を勢力圏におさめようとした。日露戦争に対して、幸徳秋水や堺利彦ら平民社の機関紙『平民新聞』が社会主義の立場から反戦論を展開した。日露戦争期、日本の利益線とは朝鮮半島を指した。日露戦争時の軍事費は、国家予算の8割以上を占め、外債はアメリカやイギリスで募集された。日露戦争の戦費は外国債以外に内債や増税によってまかなわれ、それにより国民の負担は重くなった。

日清戦争(下関条約)

日清戦争の前には、朝鮮で、壬午軍乱(壬午事変)が起こった。明治17年(1884年)には、朝鮮の独立党が日本公使館の援助をえてクーデタを起こしたが、清国軍の攻撃で失敗した。伊藤博文と李鴻章によって天津条約は結ばれ、日清両軍の朝鮮からの撤兵などが定められた。アジア近隣諸国から、近代化が進む日本への留学生が増加する中、朝鮮からは、1881年6月から1884年の甲申政変までに100名近い留学生が派遣された。これは開化派の金玉均らの政策によるものであった。

  • 清は、朝鮮の独立を認める。
  • 清は、日本に、遼東半島・台湾・澎湖諸島をゆずる。日本は、台湾総督府を置き、植民地化をすすめる。
  • 清は、日本に、賠償金2億両(現在価値3億円以上、当時の国家予算の4倍以上に相当)を支払う。日本は、これを軍備膨張費に使う。

三国干渉

ロシア・ドイツ・フランスが日本が下関条約で獲得した遼東半島を清に返還するように勧告し、日本は要求に従った。清が衰え、日本や欧米諸国に分割された。

日露戦争(ポーツマス条約)

  • ロシアは、韓国における日本の優越権を認める。
  • ロシアは、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道の利権をゆずる。
  • ロシアは、北緯50度以南の樺太を割譲。
  • ロシアは、沿海州、カムチャツカ半島周辺の漁業権を認める。

日比谷焼き討ち事件

戦争の犠牲の大きさに対し賠償金が得られないことから国民がおこした暴動。日本は列強としての地位を固め、大陸の進出を狙う。

その他の比較

以上が、中学歴史「日清戦争と日露戦争」比較となります。

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