【中学歴史】第一次世界大戦とベルサイユ条約のポイントです。
第一次世界大戦のころの大まかな流れ
- 第一次世界大戦勃発(1914年に勃発)
↓ - 中国に二十一か条の要求(1915年に、日本が中国に対して出した、中国における日本の権益の拡大をなどを求めた要求)
↓ - 日本の輸出が急増
↓ - ロシア革命(ロシアでは戦争や皇帝の専制に対する不満が爆発。1917年労働者のストライキや兵士の反乱が続き、レーニンの指導のもと、世界で初めて社会主義の政府ができた。)
↓ - シベリア出兵
↓ - 米騒動(シベリア出兵を見こした商人たちが、米を買い占めたため、米の値段が急激に上がり、それに激怒し、1918年に騒動がおこる。)
↓ - 原敬の政党内閣発足
二十一か条の要求の一部
- 中国政府は、山東省におけるドイツの権益を日本にゆずる。
- 旅順や大連の租借期限、南満州鉄道の利権の期限を、さらに99か年ずつ延長する。
- 南満州・東部内モンゴルでの鉱山採掘権を日本にあたえる。
- 中国の中央政府に、政治・財政・軍事の顧問として有能な日本人を招くこと。
第一次世界大戦の構図
1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、主に、ドイツ・オーストリア・イタリア・トルコの同盟国対イギリス・フランス・ロシアの連合国による戦闘。最終的には、雨詠歌を含む25カ国が参戦。
- 三国同盟…ドイツ・オーストリア・イタリア
- 三国協商…ロシア・フランス・イギリス
第一次世界大戦の最終的なきっかけは、1914年6月28日に、オーストリアの皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公がサラエボにおいて妻と共に暗殺されたことになっている。犯人が、セルビア人の青年であったため、オーストリアがセルビアに宣戦布告して勃発。
この戦争では、初めて、毒ガス、戦車、飛行機などが使用されたことも押さえておきましょう。
第一次世界大戦後の世界
- ベルサイユ条約の締結
- 国際連盟の発足
- 五・四運動(中国)と三・一独立運動(朝鮮)
- ガンディーの独立運動(インド)(イギリスに対する非暴力・不服従の運動をすすめたインド独立運動の指導者)
五・四運動 | 三・一独立運動 | |
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起こった年 | 1919年 | 1919年 |
起こった国 | 中国 | 朝鮮 |
内容 | 反日 | 日本からの独立 |
結果 | 中国国民党結成 | 日本は一部主張を認める |
人物 | 孫文 | 民族代表33人 |
ベルサイユ条約
第1次世界大戦を終結するため、1919年6月28日パリ郊外のベルサイユで、連合国側とドイツとの間で調印された講和条約。アメリカそのほか数ヵ国はこの条約に参加しなかった。パリ講和会議が結ばれる。ドイツの植民地を失い、領土を縮小され、巨額の賠償金と軍縮縮小を課せられました。日本はドイツか持っていた中国の山東省の権益、植民地の委任統治権を得る。戦後の世界平和を目的とした条項も存在。1919年には、ドイツで、ワイマール憲法が制定される。孫文が、中国国民党を結成。
国際連盟
国際連盟が誕生したがアメリカの不参加やヨーロッパ以外の民族自決は考慮されないなど問題が多かった。しかしながら国際協調に向けた動きが活発になりました。
名称 | 国際連盟 |
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設立年 | 1920年 |
提唱者 | アメリカのウィルソン大統領 |
本部所在地 | スイスのジュネーブ |
常任理事国 | イギリス、フランス、イタリア、日本 |
参加国 | 42カ国。アメリカは国内の反対で不参加 |
目的 | 世界平和と民族自決 |
民族自決
ウィルソンが唱えた各民族が自分たちの政治的なことは自分で決めるという考え方。
ウィルソンが唱えた各民族が自分たちの政治的なことは自分で決めるという考え方。
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