江戸時代の学問
江戸時代には、幕府が奨励した朱子学の他に、仏教や儒教が伝来する以前の日本人本来の思想を研究する学問である国学や、江戸時代にオランダを通じて日本に入ってきたヨーロッパの蘭学が発達したことを覚えておきましょう。また、朱子学の批判から生まれた実践を重視する陽明学も覚えておきましょう。
朱子学
儒学の一つで、身分の上下を重視する学問。5代将軍の徳川綱吉が幕府の学問にした。幕府を運営するのに都合がよい学問であった藤原爆落と彼の門人で暮府に登用された林羅山によってひろめられました。有名な朱子学者は以下の通りです。
- 林羅山…1583~1657の江戸時代初期の朱子学者。中心思想は、「存心持敬(日常の言動をつつしみ、本来の自己に立ち返ること)」と「上下定分の理(士農工商の身分秩序、幕藩体制の正当化)」である。
- 新井白石…徳川家宣につかえ、正徳の治を行った。儒教にもとづく理想主義的な政策を行った。
国学
本居宣長は、長年にわたって『古事記』を研究した成果を『古事記伝』としてまとめます。仏教や儒教が伝来する以前の日本人本来の思想を研究する学問として、国学を大成します。
- 本居宣長…「もののあはれ」を主張し、国学を大成する。『古事記伝』
- 平田篤胤…復古神道を説き、尊王攘夷運動にも影響を与える。
蘭学
江戸時代にオランダを通じて日本に入ってきたヨーロッパの学術・文化・技術の総称を蘭学といいます。のちに「洋学」と呼ばれるようになりました。医学をはじめ、天文・暦学・力学・地理学などが発展します。
- 杉田玄白…ヨーロッパの人体解剖書を翻訳して『解体新書』を出版。
- 伊能忠敬…西洋の測量術を学び、日本地図を作成。
- 平賀源内…科学者でエレキテルなどを発明。
陽明学
中国の明の王陽明が創始者。朱子学を批判し、認識と実践の合一(知行合一)という実践的道徳を説きます。現実社会の矛盾を改めようとした大塩平八郎も陽明学者でした。
- 大塩平八郎…飢えに苦しむ民衆のために蜂起。大阪町奉行所の役人。
- 中江藤樹…日本の陽明学の祖。
教育の広がり
江戸時代の後半になると、文化の中心は上方から江戸に移り、庶民の間にも教育が普及しました。
- 寺子屋…民間教育で、身分の枠をこえて学問が広がっていき、町民や農民の子弟に読み・書き・そろばんを学ばせました。
- 藩校…藩士の子弟の教育を行いました。
- 私塾…緒方洪庵の開いた適塾、シーボルトの医学塾が有名。
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