中学歴史の五・一五事件と二・二六事件の比較と違いです。五・一五事件と二・二六事件は、五・四運動と三・一独立運動の違いの比較と並び、入試でも頻出しますので、あいまいな点は残さず、きっちり覚えていきたいところです。
五・一五事件と二・二六事件
事件 | 五・一五事件 | 二・二六事件 |
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年 | 1932年5月15日 | 1936年2月26日 |
内容 | 犬養毅首相が海軍の将校に暗殺 | 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁を襲撃 |
事件後 | 国際連盟を脱退し、満州支配 | 満州事変で日本は国際的に孤立 |
五・一五事件
1932年に五・一五事件で海軍の青年将校らにより犬養毅首相が暗殺され、政党政治は終わった。朝鮮総督経験者で唯一の海軍出身者である斎藤実は、五・一五事件直後に総理大臣に就任した。 第一次世界大戦の開戦から日中戦争開戦までの時期に、リットン報告書にもとづく勧告が採択されると、日本は国際連盟を脱退した。
確認国際連盟と国際連合の比較と違い
犬養毅内閣
大正時代に立憲国民党を率いて、第一次護憲運動を起こし活躍。また、革新倶楽部を率いて、第二次護憲運動でも活躍した。1931年12月、立憲政友会を与党として内閣を組織したが、満州国を承認せず軍部の反発を受け、1932年の五・一五事件によって暗殺された。
二・二六事件
二・二六事件では、陸軍の青年将校らが部隊を率いて政府要人名重要施設を襲撃した。昭和恐慌の影響でアメリカ市場向けの生糸輸出額が急減した。1920年代後半から1930年代後半にかけて、日本は朝鮮進出に成功して新興財閥”へ成長した。高橋財政の結果、軍需などにささえられて重化学工業が急速に発達し、その生産額は全工業生産額のほぼ半分に達した。
軍部の発言力が強まる
- 日中戦争…日本と中国全面戦争に突入。
- 盧溝橋事件…1937年北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両軍が武力衝突。日中戦争が始まる。
- 抗日民族統一戦線…1937年9月それまで対立していた蒋介石が率いる国民党と毛沢東を指導する中国共産党が協力して日本に対抗するため結成。
泥沼化する戦争は、南京事件が象徴で、日本軍が一般人含む多数の中国人を殺害。中国での抗日知識が高まり戦争が全国中国全土に広がった。
その他の比較(歴史編)
- 縄文土器と弥生土器
- 最澄と空海
- 鎌倉幕府と室町幕府の仕組み
- 元禄文化と化政文化
- 北山文化と東山文化
- 鎌倉新仏教
- 五・四運動と三・一独立運動
- 明治期「自由党と立憲改進党」
- 明治維新の三大改革
- 江戸時代「問屋制家内工業と工場制手工業」
- 江戸時代末期以降の外交条約
- 勘合(日明)・南蛮・朱印船貿易
- 関税自主権の回復と領事裁判権の撤廃
- 尊王攘夷運動|薩摩藩と長州藩
以上が、中学歴史「五・一五事件と二・二六事件」比較となります。