【中学歴史】満州事変のわかりやすい要点

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満州事変

満州事変と日中戦争
1931年9月、満州におかれた関東軍は奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国軍のしわざだとして開戦した。政府は戦争を拡大しない方針だったが、関東軍はこれを無視、満州全域に戦線を広げた。これを満州事変といい、以後15年間にわたって、日中戦争・太平洋戦争と、日本と中国との戦いが続いた。

リットン調査団
1932年3月、日本は満州の自治を名目にして「満州国」を建国して中国から分離させたうえで、薄儀(清朝最後の皇帝)を元首とした。日本は「満州国」の政治・軍事・経済な どの実権をにぎり、中国人から安く手に入れた土地に、日本国内から農民などを開拓民として集団移住させた。

国際連盟の脱退

中国政府が満州事変は日本の侵略だとして国際連盟に訴えたため、国際連盟は同年2~9月, イギリスのリットン卿を団長とする調査団を現地に派遣した。リットン調査団は10月、「日本の軍事行動は不法であり, 日本の軍事行動 と満州占領は不当である」という報告書を提出した。この報告にもとづいて、国際連盟は総会で決議を行い、賛成12・ 反対1(日本)・棄権1で、日本軍の占領地(満州)からの撤退 と「満州国」承認の取り消しを求める勧告案を採決した。

日本はこれを不服として、1933年3月に国際連盟を脱退した。こうして国際的に孤立した日本は、1933年12月に、ワシントン軍縮条約を破棄して軍備の強化に乗りだし、ファシズム国家のドイツ・イタリアに接近するようになった。

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