北山文化と東山文化
どちらも室町時代の文化で、新し文化が数多く生まれた時期でもあります。北山文化と東山文化のそれぞれを比較しながら整理していきましょう。
比較 | 北山文化 | 東山文化 |
---|---|---|
将軍 | 足利義満 | 足利義政 |
特徴 | 貴族の文化と武士の文化の融合 | 武士中心で簡素で気品のある文化 |
建物 | 金閣 | 銀閣 |
その他 | 寝殿造 | 書院造 |
禅宗 | 雪舟の水墨画 |
- 水墨画…墨一色で描く絵画
北山文化と東山文化を区分をなくし、室町時代の文化を室町文化とします。東山文化のときに、龍安寺の石庭も完成しています。
観阿弥・世阿弥親子が猿楽を能に発展させる。狂言、御伽草子、上杉氏の足利学校もこの時代です。栄西がもたらした茶を飲む習慣から茶湯も流行。御伽草子とは、一寸法師などの絵入りの物語です。
北山文化
北山文化の時期には、如細・周文・雪舟らが墨の濃淡で自然や人物を象徴的に表現した絵画の世界を作りあげた。 応仁の乱後の時期には、絵画で、狩野正信と、その子元信が出て狩野派を確立した。観阿弥・世阿弥父子は、室町将軍義満の保護のもとに、猿楽能を芸術性の高い演劇に大成した。室町時代初期には猿楽の座が各地で活発に活動するようになり、大和国では興福地・春日社に奉仕する大和四座が活動した。 都で武家や公家にも認められた世阿弥は、能の理論書である『風姿花伝』を著し、幽玄の能を追求した。
東山文化
東山文化の時期には、大徳寺大仙院や竜安寺の庭園のように、石・白砂の組み合わせを主として大自然を表現した枯山水がつくられた。東求堂の同仁斎のように、床・棚・明障子・襖をもちいた書院造という建築様式ができた。応仁の乱後の時期には、明から帰った雪舟が日本的な水墨画を描いた。
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