【中学歴史】倒幕から明治維新までのポイント

長きにわたって繁栄した江戸時代が終わり、明治時代が始まります。明治の改革である明治維新を詳しく学習します。まずは倒幕から維新の改革までしっかりと流れをつかみましょう。

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倒幕から明治新政府の発足の流れ

幕末、尊王攘夷運動が高まる中、1867年に第15代将軍徳川慶喜によって、政権を朝廷に返す大政奉還がなされました。その後、戊辰戦争を経て明治新政府が発足します。まずは、ここまでの歴史の流れをサクッと確認しましょう。

年代出来事内容
1858尊王攘夷運動の高まり日米修好通商条約を結んだ幕府への批判が高まる。
1863薩英戦争生麦事件の補償を求めて、イギリス薩摩藩が戦争を行い、薩摩は攘夷の不可能を感じる。
1864四国艦隊下関砲撃事件長州藩の列国軍艦への砲撃への4か国艦隊の報復戦争で、長州藩は攘夷の不可能を感じる。
1866薩長同盟坂本龍馬の仲立ちで、薩摩・長州両藩が同盟を結ぶ。
1867大政奉還15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権を返上
1868王政復古の大号令天皇の政治に戻ることや幕府の廃止が宣言される。
1868戊辰戦争新政府軍と旧幕府軍の戦い。鳥羽・伏見の戦い(京都)に始まり、1869年五稜郭の戦い(函館)で終結。
1868五箇条の御誓文明治新政府の政治の基本方針が出される。翌日には庶民の守るべき事柄を記した五榜の掲示が出される。
1869版籍奉還藩主に土地と人民の支配権を返上させる。
1871廃藩置県藩を廃止して全国に府と県を置き、中央から府知事・県令(県知事)を派遣して地方政治を行う。
1871解放令えた・ひにんとして差別されてきた人々も平民となる。新政府は江戸時代の身分制度を廃止する。
1872学制6歳以上の男女全てが小学校教育を受けることとする。
1873地租改正収入の不安定な年貢に変わって、土地の所有者に地券を渡し、地価3%現金で納めさせる。
1873徴兵令満20歳以上の男子に徴兵の義務を負わせる。

まずは、明治維新の流れを年表で表してみました。特に覚えたほうがいい年号は、

  • 1867年大政奉還
  • 1868年王政復古の大号令・戊辰戦争・五箇条の御誓文
  • 1871年廃藩置県
  • 1872年学制
  • 1873年地租改正

これらの語呂は次の通りです。

  • 大政奉還徳川むな(67)しい大政奉還!
  • 五箇条の御誓文明治維新で威張ろうや(1868)!
  • 廃藩置県もう藩とは言わない(1871)で!
  • 学制いや何(1872)より教育だ!
  • 地租改正嫌な3%(1873)地租改正!

江戸幕府の滅亡から明治新政府の発足

まずは、下の順番で江戸幕府の滅亡から明治新政府の発足までの流れを押さえましょう。

  1. 尊王攘夷運動の高まり
  2. 生麦事件(薩摩藩)・下関事件(長州藩)
  3. 薩英戦争(薩摩藩)・四国艦隊下関砲撃事件(長州藩)
  4. 薩長同盟
  5. 大政奉還
  6. 王政復古の大号令
  7. 戊辰戦争
  8. 五箇条の御誓文

幕末になると、日本に列強の艦隊が接近するようになります。そして、倒幕につながる事件が起こります。それが日米和親条約と日米修好通商条約です。江戸幕府の大老である井伊直弼が日米和親条約(不平等条約)を結んだことに異議を唱えた吉田松陰らが安政の大獄で処刑されます。井伊直弼は桜田門外の変で暗殺されますが、これで一気に倒幕と外国人を追い払おうとする尊王攘夷運動が盛んになります。

1862年、薩摩藩は生麦村(現:神奈川県横浜市付近)を大名行列中に、乱入した騎馬のイギリス人たちを藩士たちが殺傷する生麦事件を起こします。これに対してイギリスは補償を求めて、薩摩藩と薩英戦争が行われます。この戦争で薩摩は攘夷の不可能を感じました。

1863年には、長州藩が関門海峡を通過する外国船への砲撃を実施します。これに対して翌年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国艦隊が報復戦争を行い、長州藩は攘夷の不可能を感じます。

攘夷の不可能を感じた薩摩と長州は、1866年に坂本龍馬の仲立ちで薩長同盟を結び、攘夷を続ける江戸幕府を倒す方向に向かいます。そんな中、1867年に15代将軍の徳川慶喜は、政権を朝廷に返上する大政奉還を行い、これで鎌倉時代から約700年続いた武士の時代が終焉を迎えます。

翌年の1868年には、天皇の政治に戻ることや幕府の廃止が宣言される。これを王政復古の大号令といいます。同年、旧幕府軍と新政府軍の戦いである戊辰戦争が、京都の鳥羽・伏見の戦いで始まり、翌年の函館五稜郭の戦いで終止符が打たれ、明治新政府軍の勝利が確定します。

戊辰戦争中の1868年には、五箇条の御誓文が出され、明治新政府の政治の基本方針が示されます。同時に、庶民の守るべき事柄を記した五榜の掲示も出されています。

明治新政府が行った改革

欧米の先進国に対抗するために、経済を発展させて国力を向上させ、強力な軍隊を整備することを目指す政策を富国強兵といいます。明治新政府が行った改革で覚えるべき内容は次の通りです。

  • 版籍奉還廃藩置県
  • 解放令→四民平等
  • 学制→国民すべてが小学校教育を受ける
  • 地租改正→年貢に変わる税制度確立
  • 徴兵令→満20歳以上の男子に徴兵の義務

まずは、徳川幕府によって幕藩体制が敷かれていましたが、これを1869年の版籍奉還により藩主に土地と人民の支配権を朝廷に返上させます。これにより藩という地方政治システムはなくなります。1871年には藩を完全に廃止して全国に府と県を置き、中央から府知事・県令(県知事)を派遣して地方政治を行ようになります。

1871年には解放令が出され、江戸時代にえた・ひにんとして差別されてきた人々も平民に戻ることができるようになります。江戸時代に士農工商と身分が分けられていましたが、武士も農民も全てが平等に扱われるようになります。しかし、天皇家一族は皇族・公家や大名たちは華族・武士は士族として扱われ、それに伴う差別意識は長く残ることになります。

江戸時代には、武士は藩校、庶民は寺子屋で教育を受けていましたが、1872年に学生が公布され、6歳以上の男女はすべて小学校教育を受けることとなります。働き手が取られる、授業料が高いなどの反発も生じました。

不安定な年貢の徴収にも改革が行われます。それまで年貢として米を納めさせていましたが、年ごとに年貢の徴収高にばらつきがあるため、江戸幕府の財政は安定しませんでした。これを1873年の地租改正により、土地の所有者に地券を交付し、地価の3%を現金で納付させるようにしました。

また同年の1873年には徴兵令が出され、満20歳以上の男子に徴兵の義務が課されます。これにより、日本は近代的な軍隊の構築を急ぐことになります。

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