高校入試歴史のよく出る政治のしくみ(摂関政治と執権政治)の比較と違いです。平安時代の摂関政治、鎌倉時代の執権政治はよく出題されます。それぞれの政治の特徴を比較しながら一気に覚えていきましょう。それでは、高校入試歴史のよく出る政治のしくみ(摂関政治と執権政治)の比較と違いをみていきます。
摂関政治と執権政治
政治 | 摂関政治 | 執権政治 |
---|---|---|
特徴 | 天皇が幼いときに摂政、成長後は関白として実権 | 執権として実権 |
時代 | 平安時代 | 鎌倉時代 |
人物 | 藤原氏(藤原道長・頼道) | 北条氏 |
政策1 | 荘園 | 六波羅探題 |
政策2 | 平等院鳳凰堂 | 御成敗式目 |
摂関政治
摂関政治は、11世紀前半の藤原道長・頼道父子のときに全盛となりました。このころ、地方政治をほとんどおこわず、国司に任せきりでした。国司の中には、農民や豪族に重い税を課したり、土地を取り上げたりして富をむさぼる者も現れました。
- 荘園…朝廷の重要な地位を独占した藤原氏は、地方の政治を任された国司から多くの寄付を受け、荘園と呼ばれる私有地を増やす。
- 平等院鳳凰堂…藤原頼道が宇治に建てた阿弥陀堂。
藤原氏全盛
平安時代中期以降、天皇の幼少期には摂政が、成人後には関白が置かれた。藤原兼家・道長の時代には、皇朝十二銭の最後の貨幣である乾元 大宝が鋳造された。 、三蹟の一人である小野道風が活躍した。
- 枕草子…貴族社会の生活や感情をつづった『枕草子』が著された。
- 藤原道長…当時流行した浄土の教えを信じ、晩年には阿弥陀堂を中心とする法成寺を造営した。
- 藤原実資の『小右記』…宮廷の儀式や故実について記された記録がある。そこには、「この世をば我が世とぞ思ふ、望月の欠けた ることもなしと思へば」と詠んだ藤原道長の栄華についても記述されている。
- 藤原頼通…約50年にわたって摂関の地位を独占し、平等院鳳凰堂を建立した。
中学歴史テストや高校入試出る「建築・建造物(寺・像など)」のまとめです。時代と人、建築名とその特徴までおさえておくと完璧です。また建物・建造...
執権政治
1219年には、鶴岡八幡宮において3代将軍源実朝が頼家の遺児公暁に暗殺され、源氏の正統が断絶した。源頼朝の血筋が断絶した後には、摂関家出身の条親子が新しい将軍として鎌倉にむかえられた。
- 執権…将軍の補佐役。頼朝の死後、北条氏が独占。
- 承久の乱…1221年後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして、挙兵するが失敗。幕府の支配が拡大する。
- 六波羅探題…承久の乱の後、京都に置かれた幕府の役所。朝廷の監視や西国の武士の統率をさせた。
- 御成敗式目…1232年執権の北条泰時が制定した裁判の基準を御家人に示すための法律。
後鳥羽上皇
後鳥羽上皇は西面の武士を設置して、軍事力の増強をはかり、権力の回復につとめた。源実朝の死後、後鳥羽上皇は承久の乱を起こした。承久の乱の結果、後鳥羽・土御門・順徳の三人の上皇が配流され、仲恭天皇が廃された。
練習問題
- 藤原頼道が宇治に建てた阿弥陀堂を何というか。
- 1221年後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして、挙兵するが失敗した乱を何というか。
- 承久の乱の後、京都に置かれた幕府の役所。朝廷の監視や西国の武士の統率をさせた機関を何というか。
- 1232年執権の北条泰時が制定した裁判の基準を御家人に示すための法律を何というか。
解答
- 平等院鳳凰堂
- 承久の乱
- 六波羅探題
- 御成敗式目