【中学歴史】大正時代のポイントをわかりやすく

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【中学歴史】大正時代のポイントです。

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大正時代のポイント「大まかな流れ」

大きな流れとして、「大正デモクラシー(注1)」を軸として展開される「第一次世界大戦」「護憲運動」「社会運動」、そういう運動を通じた「大衆文化」についてをつかんでおきましょう。

(注1)大正デモクラシー
人々が、自由を求め、様々な政治運動(護憲運動)、社会運動、労働運動など通じて大衆化していく風潮。
出来事
1921 第一次護憲運動
1914 第一次世界大戦
1915 中国に二十一か条の要求
1918 米騒動、シベリア出兵開始、原敬の政党内閣が成立
1919 パリ講和会議、朝鮮で三・一独立運動、中国で五・四運動
1920 国際連盟に加入
1921 ワシントン会議
1922 全国水平社の結成
1923 関東大震災
1924 第二次護憲運動
1925 治安維持法の成立、普通選挙制の実施、ラジオ放送が始まる

第一次世界大戦の

  • 第一次世界大戦勃発(1914年に勃発)
  • 中国に二十一か条の要求(1915年に、日本が中国に対して出した、中国における日本の権益の拡大をなどを求めた要求)
  • 日本の輸出が急増
  • ロシア革命(ロシアでは戦争や皇帝の専制に対する不満が爆発。1917年労働者のストライキや兵士の反乱が続き、レーニンの指導のもと、世界で初めて社会主義の政府ができた。)
  • シベリア出兵
  • 米騒動(シベリア出兵を見こした商人たちが、米を買い占めたため、米の値段が急激に上がり、それに激怒し、1918年に騒動がおこる。)
  • 原敬の政党内閣発足

ロシア革命

<二十一か条の要求(抜粋)>

  • 中国政府は、山東省におけるドイツの権益を日本にゆずる。
  • 旅順や大連の租借期限、南満州鉄道の利権の期限を、さらに99か年ずつ延長する。
  • 南満州・東部内モンゴルでの鉱山採掘権を日本にあたえる。
  • 中国の中央政府に、政治・財政・軍事の顧問として有能な日本人を招くこと。

<第一次世界大戦の構図>
第一次世界大戦(中学歴史)
1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、主に、ドイツ・オーストリア・イタリア・トルコの同盟国対イギリス・フランス・ロシアの連合国による戦闘。最終的には、雨詠歌を含む25カ国が参戦。

  • 三国同盟…ドイツ・オーストリア・イタリア
  • 三国協商…ロシア・フランス・イギリス

第一次世界大戦の最終的なきっかけは、1914年6月28日に、オーストリアの皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公がサラエボにおいて妻と共に暗殺されたことになっている。犯人が、セルビア人の青年であったため、オーストリアがセルビアに宣戦布告して勃発。

この戦争では、初めて、毒ガス戦車、飛行機などが使用されたことも押さえておきましょう。

<第一次世界大戦後の世界>

  1. ベルサイユ条約の締結
  2. 国際連盟の発足
  3. 五・四運動(中国)と三・一独立運動(朝鮮)
  4. ガンディーの独立運動(インド)(イギリスに対する非暴力・不服従の運動をすすめたインド独立運動の指導者)
五・四運動 三・一独立運動
起こった年 1919年 1919年
起こった国 中国 朝鮮
内容 反日 日本からの独立
結果 中国国民党結成 日本は一部主張を認める
人物 孫文 民族代表33人

<ベルサイユ条約>
第1次世界大戦を終結するため、1919年6月28日パリ郊外のベルサイユで、連合国側とドイツとの間で調印された講和条約。アメリカそのほか数ヵ国はこの条約に参加しなかった。パリ講和会議が結ばれる。ドイツの植民地を失い、領土を縮小され、巨額の賠償金と軍縮縮小を課せられました。

日本はドイツか持っていた中国の山東省の権益、植民地の委任統治権を得る。戦後の世界平和を目的とした条項も存在。1919年には、ドイツで、ワイマール憲法が制定される。孫文が、中国国民党を結成。

<国際連盟>
国際連盟が誕生したがアメリカの不参加やヨーロッパ以外の民族自決は考慮されないなど問題が多かった。しかしながら国際協調に向けた動きが活発になりました。

設立年 1920年
提唱者 アメリカのウィルソン大統領
本部所在地 スイスのジュネーブ
常任理事国 イギリス、フランス、イタリア、日本
参加国 42カ国。アメリカは国内の反対で不参加
目的 世界平和と民族自決
民族自決
ウィルソンが唱えた各民族が自分たちの政治的なことは自分で決めるという考え方。

護憲運動

尾崎幸雄、犬養毅らは、「閥族打破・憲政擁護」をスローガンに第一次護憲運動を展開。第一次世界大戦直前には、シーメンス事件の発覚により、世論の批判を受けて、第一次山本権兵衛内閣が総辞職。

また、軍拡予算に対して、負担の軽減を求める廃税運動も展開されていました。貿易収支の大幅な赤字も続き、国際収支は危機的な状況でありました。

大正時代の社会運動

第2次世界大戦前、社会主義思想の研究には国家によるきびしい制約があり、森戸辰男は研究論文が危険思想とされ処罰されました。

一方で、鈴木文治が設立した友愛会は、労資協調を唄え、労働組合運動の母体となりました。東京帝国大学の思想運動団体である新人会は、社会科学の研究や啓蒙を行い、日本の社会運動に大きな影響を与えました。

運動 労働争議 小作争議 女性運動 部落解放運動
年号 1900年初頭から 1920年前後から 1920年 1922年
内容 ストライキ 条件改善 平塚雷鳥新婦人協会を結成 全国水平社
備考 労働者が雇い主に労働者の意見を認めさせるため 小作人が地主に小作料の引き下げを求める 女性の政治活動の自由、高等教育の拡充などを求める 部落差別からの解放を目指す。
  • 米騒動…1918年米の価格が急に上昇したことから米の安売りを求めて起こった暴動。
  • 市川房江…女性解放運動の指導者で平塚らいてう(雷鳥)らと新婦人協会を結成して女性の政治参加を訴えた。1924年婦人参政権獲得期成同盟会を作り、第2次世界大戦後には、参議院議員となりました。
  • 平塚らいてう(雷鳥)…「青鞜」を創刊。
  • 民本主義…吉野作造が唱えた普通選挙で国民の意見を政治に反映させると主張。
  • 普通選挙法…1925年に制定された25歳以上の男子に選挙権を与える法律。
  • 治安維持法…共産主義の活動などを取り締まる法律。
  • 労働争議…労働者が雇い主に労働者の意見を認めさせるためにストライキなどを行う。
  • 小作争議…小作人が地主に小作料の引き下げを求める。
  • 女性運動…1920年平塚雷鳥が新婦人協会を結成。女性の政治活動の自由、高等教育の拡充などを求める。
  • 部落解放運動…1922年部落差別からの解放を目指して、全国水平社が形成される。

大正文化

文化の大衆化が進み都市の生活の変化する大衆文化で、トーキー(有声映画)、ラジオ放送など開発。文学では、芥川龍之介、志賀直哉、小林多喜二などが登場し、文化住宅、洋食が広まり、欧米風の生活様式が流行しました。

大正時代には、都市ではガス、水道、電気、電灯が普及するなど大衆の生活の水準が劇的に上がっていきます。それに伴い、義務教育も、ほぼ完全にいきわたり女性の進学者も増えていきました。ラジオ放送も始まることや多くの文学が生み出されるなど、国民全体の教育・教養レベルも向上にも寄与。
人物 実績・作品 備考
北里柴三郎 ペスト菌の発見、破傷風の血清療法 ドイツでコッホに学んだ細菌学者
与謝野晶子 君死にたまふことなかれ 雑誌「明星」に発表
夏目漱石 吾輩は猫である、坊ちゃん、こころ 個人主義の立場の作家
フェノロサ 日本画の復興 アメリカ人で岡倉天心と協力
黒田清輝 読書、湖畔 印象派
滝廉太郎 荒城の月、花、箱根八里 洋楽発展に寄与した作曲家

<大正時代の作家たち>

  • 芥川龍之介…「羅生門」
  • 谷崎潤一郎…「刺青」
  • 志賀直哉…白樺派。「暗夜行路」
  • 武者小路実篤…白樺派。「人間万歳」
  • 小林多喜二…プロレタリア文学。「蟹工船」
  • 江戸川乱歩…探偵小説
白樺派…日本近代文学の一派。雑誌「白樺」によった文学者・美術家の集団をいう。人道主義・理想主義・個性尊重などを唱えて自然主義に抗う。
プロレタリア文学…ブルジョア文学に対して、労働者階級の自覚と要求、思想と感情に根ざした文学、および組織的運動としての社会主義的・共産主義的革命文学の総体。

<大正時代の美術・芸術>
芸術では、岡倉天心らが日本画を再興し、梅原竜三郎ら洋画家が、二科会を結成と芸術分野も発展。日本放送協会が設立され、ラジオ放送をはじまるなどマスコミを発達。このころになると、鉄筋コンクリートの建物も増え始めます。サラリーマンを増えるのもこのころ。化学肥料の生産増加と普及によって食料の増産がはかられました。野球の普及もこのころ。

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