応仁の乱のころから、下の身分の者が実力で上の身分の者を倒す下剋上の風潮が広がり、実力のある守護大名の家臣や国人(在地の有力武士)などが守護大名を倒し、勢力の強い守護大名は領国の支配を固めるなどして、戦国大名に成長していきました。その後、豊臣秀吉が、明智光秀を倒し、織田信長の後継者となります。朝廷から関白に任命され、大阪城を拠点に全国統一を成し遂げました。今日は信長、秀吉が政権をにぎった安土桃山時代について学習します。
安土桃山時代とは
安土桃山時代とは、織田信長が上洛(京都に入ること)したとき、または室町幕府の滅亡した1573年から1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康が天下を取るまでの間を指します。
「安土桃山」という時代名の由来は、織田信長がつくったお城である安土城と、豊臣秀吉が桃山の地に伏見城を建てたことです。
鉄砲が伝来し、戦の方法が大きく変わった時代でもあり、織田信長、豊臣秀吉が政権を握った時代でもあります。文化面では、力を持った各地の戦国大名や、堺の豪商たちの富や権力が反映された、豪華で壮大な文化が特徴になっています。
まずは、この時代の出来事を年表でざっと確認しておきましょう。
安土桃山時代の年表
太字の年号や出来事は必ず覚えるようにしましょう。まずは、織田信長の天下統一に関する年表です。
年号 | 出来事 |
1560年 | 桶狭間の戦いで、今川義元を倒す。 |
1568年 | 将軍足利義昭を奉じて京都に入る。 |
1570年 | 姉川の戦いで、浅井長政・朝倉義景を倒す。 |
1570年 | 石山戦争が始まる。仏教勢力と対立。 |
1571年 | 比叡山延暦寺を焼討ち。 |
1573年 | 足利義昭を京都から追放。室町幕府滅亡。 |
1575年 | 長篠の戦いで、武田勝頼を破る。 |
1576年 | 安土城を築城 |
1577年 | 楽市・楽座を安土城下で行う。 |
1582年 | 本能寺の変。明智光秀に襲われ敗死。 |
ゴロで覚える!
●1573年の室町幕府の滅亡「信長に、攻められ義昭、以後涙(いごなみだ)」
●1582年の本能寺の変「イチゴパンツの織田信長」
●1573年の室町幕府の滅亡「信長に、攻められ義昭、以後涙(いごなみだ)」
●1582年の本能寺の変「イチゴパンツの織田信長」
次は、豊臣秀吉の天下統一に関する年表です。
年号 | 出来事 |
1582年 | 山崎の戦いで、明智光秀を破る。清須会議。 |
〃 | 太閤検地を開始。 |
1583年 | 賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家を破る。 |
〃 | 大阪城の築城開始。 |
1584年 | 小牧・長久手の戦いで、織田信雄・徳川家康と戦うも和睦 |
1585年 | 豊臣秀吉が関白になる。 |
1587年 | バテレン追放令。キリスト教の宣教師を国外に追放。 |
1588年 | 刀狩令。 |
1590年 | 小田原攻めで北条氏滅亡。伊達政宗を服属させ全国統一。 |
1592年 | 文禄の役(朝鮮出兵)。 |
1597年 | 慶長の役(二度目の朝鮮出兵)。伏見城が完成。 |
1598年 | 豊臣秀吉が死去。 |
1600年 | 関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍が勝利。 |
ゴロで覚える!
●1590年の秀吉の天下統一「戦国丸(0)めて全国統一」
●1590年の秀吉の天下統一「戦国丸(0)めて全国統一」
織田信長と豊臣秀吉の政策の比較
織田信長 | 豊臣秀吉 | |
社会・経済政策 | 楽市・楽座 | 太閤検地 |
関所の廃止 | 刀狩令 | |
宗教政策 | 仏教勢力を弾圧 | バテレン追放令 |
キリスト教の保護 | 朝鮮出兵 |
織田信長
安土城を拠点とする。1560年に今川義元を破ってから全国統一事業を進める。1567年に美濃制服をなしとげ畿内地域を統一。天下布武の印判を用いる。本能寺の変で敗死。
- 楽市・楽座…安土城下で、商工業の自由な発展目指し、座の特権を廃止した。
- 関所の廃止…交通の要所に設置されていた施設で徴税や検問のために設置・しかしこの関所は、品物の運送の妨げになっていて、商業の発達がうまくいかない原因となっていたため廃止。
- 仏教勢力の弾圧…当時大きな勢力を持っていた仏教勢力を抑え込んだ。石山戦争で一向一揆を服属させる。比叡山延暦寺焼き討ち。
- キリスト教の保護…仏教勢力を牽制(けんせい)するためでもあり、貿易の振興も目的。
豊臣秀吉
大坂城を拠点とする。1585年に関白となり、翌年1586年に、太政大臣となる。この当時、直轄地を蔵入地といい、また、太閤検地、刀狩、身分統制令、人掃令と次々に施策を実行。
- 太閤検地…田畑の面積や土地の状態を調べて石高で表し、農民から年貢を確かなものにした。
- 刀狩令…農民から刀や鉄砲などの武器を取り上げた。一揆を防ぎ、耕作に専念させることが目的。これにより武士と農民の身分をはっきり区別させ、兵農分離が実現する。
- バテレンン追放令…キリスト教が拡大するのを恐れたため、キリスト教の布教を禁止し、宣教師を国外に追放。
- 朝鮮侵略…明の征服を目指し、朝鮮に1592年と1597年の2度大軍を送った。苦戦の後、秀吉の病死を機に引き上げる。2度の朝鮮侵略は日本国内の武士や農民の負担をかけ、豊臣氏が没落する原因となった。
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