中学国語の「平家物語(古典)」についてまとめています。「平家物語」は、鎌倉時代に成立した軍記物語です。作者未詳となっています。仏教的に無常観を背景に平家一門の繁栄から滅亡までを描いています。琵琶法師によって語り継がれました。今回は、「冒頭」と「扇の的」の場面を中心にまとめています。
平家物語のポイント
『平家物語』とは、武士の活躍を描いた軍記物語になります。鎌倉時代に完成し作者はわかっていません。平安時代末期に台頭した平家の栄華と没落などを描いています。なじみのある「祇園精舎の鐘の声……」で有名ですね。
平家物語の重要なキーワードは「無常観」です。無常観とは、仏教の根本思想のことで、人間のはかなさや世の中の不安定さを意味する言葉になります。「諸行無常」「盛者必衰」などの表現に現れています。
入試によく出る内容は、有名な冒頭部分と、屋島の戦いの「扇の的」です。今回はここを中心に解説・練習を行います。
平家物語の冒頭
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。
<現代語訳>
祇園精舍(ぎおんしょうじゃ)の鐘の音には、諸行無常(しょぎょうむじょう)すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。娑羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという物事の道理をあらわしている。おごり高ぶっている者すなわち世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、覚めやすいと言われている春の夜の夢のようである。勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
扇の的
「扇の的」の話は「屋島の戦い」で登場します。屋島は、現在の香川県高松市にあたります。
源氏軍の攻勢を防ぎ切れなかった平家は、都を捨て、西国へと落ちていきます。そこで、勢力を盛り返して、一の谷(現在の兵庫県神戸市)に陣を構えますが、源義経の奇襲に遭い、敗走します。屋島に退いたものの、またも義経の奇襲に遭います。慌てた平家は舟で海上に逃れ、陸の源氏軍と対峙します。そして、「扉の的」の場面へといきます。
- 那須与一は、舟端の竿につけられた扇を射ぬくことを命じられる。
- 源氏と平家両軍が、扇を射る那須与一を見守る。
- 風が収まり扇を射やすくなる。。
- 扇が射抜かれ、空へ舞い上がる。(成功)
- このようすに感動した平家の男が、扇の立ててあったところで、舞を舞う。
- その男を、那須与一が射倒する。
- 静まり返る平家軍とは、対称に、歓声を揚げる源氏軍。
「扇の的」の原文を見てみましょう。
ころは二月十八日の酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、 磯打つ波も高かりけり。舟は、揺り上げ揺りすゑ漂へば、扇もくしに定まらずひらめいたり。沖には平家、舟を一面に並べて見物す。陸には源氏、くつばみを並べてこれを見る。いづれもいづれも晴れならずといふことぞなき。
<現代語訳>
2月18日の午後6時ころのこと。北からの風が激しく吹いて、岸にうちつける波も高かった。舟はとてもゆらゆら揺れていたので、竿の先に取りつけられた扇も揺れている。沖では平家が、舟を海一面に並べて見物している。陸側では源氏が、馬に乗り並んで与一を見ていた。どちらも晴れがましい姿であった。
与一は目をつぶった。「南無八幡大菩薩さま、私の故郷の神さまがた、日光の権現さま、宇都宮大明神さま、那須の湯泉大明神さま、お願いします。どうかあの扇の真ん中を射抜かせてください。この矢を外したら、(責任を取るために)弓を折って自ら命を絶たなければなりません。二度と誰かに会うこともできなくなります。私をもう一度本国へ迎えてくださるお気持ちならば、どうかこの矢を外させないでください」と、心で祈り念じて目を開いたところ、風もちょっと弱くなっていて、扇も射易くなっていた。
与一はかぶら矢を手に取り構え、引いてひょっ、と放つ。与一の身体は小さかったが、矢は十二束三伏(とよばれるすごい矢)で、弓も強力なものだった。矢の飛ぶ音は浦一帯に長く響いた。狂いもなく、扇の「要」の部分から一寸(ちょっと)のところをひぃふっ、と射抜いた。かぶら矢は海に入り、扇は空へ舞い上がった。しばらくひらひらしていたが、春の風に一度か二度もまれ、そして海へさっ、と散っていった。 夕日がきれいなときに、真っ赤な日の丸が描かれた扇が白い波で浮かんだり沈んだりしている。沖の平家は、舟のへりをたたいて感動を表していた。陸の源氏はえびらをたたいてどよめいていた。
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