【中学歴史】明治時代のポイントまとめ

シェアする

スポンサーリンク

中学歴史の明治時代のポイント「入試に出る最も大事な6つの出来事」についてまとめています。明治時代については、なんらかの形で必ず出題される時代で、大事な時代となります。しっかり流れをつかんで、得意な時代にしていきましょう。それでは、中学歴史の明治時代のポイント・流れ「入試に出る最も大事な6つの出来事」です

明治時代

明治時代で押さえておかないといけない出来事とは、「明治維新」「立憲政治」「日清戦争」「日露戦争」「不平等条約改正」「産業革命」です。それぞれを詳しくみていきましょう。明治時代は、1867年に明治天皇は王政復古(むかしの天皇の政治にかえる)の大号令を出して、天皇を中心とする新政府の成立を示したところから始まります。

スポンサーリンク

明治維新

明治維新は、新政府の改革とそれに伴う社会の動き。富国強兵は、欧米に対抗するため、経済を発展させて国力をつけ軍隊を強化。学生、兵制、税制の三つの改革。近代化の基礎となる。

事柄 学制 徴兵令 地租改正
年号 1872年 1873年 1873年
内容 6歳以上の男女に小学校の義務教育 満20歳以上の男子に兵役の義務 地券を発行し、地価の3%を地租として現金

地租改正は、政府の財政を安定させたが、急激な改革に反対する人々の一揆が各地で起こった。

地租改正

土地に対する税率は全国統一の近代的な税となり、政府の歳入(年間の収入)の大半を占め財政を安定させた。

  • 土地の所有者と価格地価を定め地券を発行する。
  • 課税の基準を収穫高から地価に変更する。
  • 税率は地価の3%で土地の所有者が現金を納める。
  • 税の負担は変わらず、地租改正反対一揆が起き、地価の3%から2.5%へ。

新政府の方針<五箇条の御誓文>

一 広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ
一 上下心ヲ一ニシテ 盛ニ経綸ヲ行ウベシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄 各其志ヲ遂ゲ 人心ヲシテウマサラシメンコトヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ 天地ノ公道ニ基クベシ
一 智識ヲ世界ニ求メ 大ニ皇貴ヲ振起スベシ

<和訳>

  • 広く会議を開いて、すべての政治は、世論に従い決定するべき
  • 治める者と人民が心をひとつにして 盛んに国家統治の政策を行うべき
  • 公家と武家が一体となり、庶民にいたるまで、志をとげ、人々の心をあきさせないことが必要
  • 古い悪習を破り 国際法に基づくべき
  • 知識を世界に求め、おおいに天皇政治の基礎を盛んにすべき

当時の華族・士族・平民の割合

  • 平民…93.5%(3100万人)
  • 士族…5.6%(183万人)
  • 華族…0.3万人

公家と大名は、華族。武士などは、士族。百姓は、町人・平民と呼ばれるようになった。

立憲政治

伊藤博文らはヨーロッパでシュタインやグティストからドイツ派の憲法理論を学んで帰国し、憲法制定の準備を進めた。 大日本帝国憲法の起草作業は、法律顧問のロエスレルの助言も得て進められた。

自由民権運動

政府への不満から士族の反乱や自由民権運動が起こった。

  • 西南戦争…1877年西郷隆盛を中心とした鹿児島の士族らがおこした反乱。徴兵制による政府軍に鎮圧された。
  • 自由民権運動…議会政治の実現を目指す運動。
  • 民選議員設立の建白書…1874年に板垣退助らが政府に提出した国会の開設を求める意見書。
  • 国会期成同盟…1880年民権派の代表が大阪で結成。
  • 国会開設の整備…政府が10年後に国会を開くこと約束。

自由党と立憲改進党

自由党 立憲改進党
成立年 1881年 1882年
影響国 フランス イギリス
成立者 板垣退助 大隈重信

板垣退助

1874年地元の土佐に政治結社、立志社をつくり、当時薩摩藩や長州藩など一部の藩の人間のみが政治を行っていることを批判。「国民が選んだ議員に政治を任せるべきだ」と主張します(民選議員設立の建白書)

  • 秩父事件…1884年の、松方財政下では困民党に結集した農民たちが、秩父事件を起こした。秩父事件の前後には、加波山事件、飯田事件など、自由党員を主力とする一連の激化事件がおこっている。秩父事件のような自由民権運動の急進化と政府の懐柔政策によって、自由党内には分裂がおこり、自由党は解散を決議した。
  • 中江兆民…中江兆民が参加した自由党は、政府の弾圧と党内の混乱によって解党した。保安条例によって、ほかの民権家らとともに東京から追放された

大隈重信

自由民権運動の有力政党として、イギリス流の穏健な立憲政治による政治改革・国権伸張・地方自治の基盤確立などを目標に活動しました。しかし、自由党との対立抗争や自由民権運動の激化もあり、1884年には、大隈が脱党して弱体化していきました。そして、1896年に、進歩党が結成されるとともに解党されました。

日清戦争

1894年、甲午農民戦争が起こると、朝鮮をめぐって対立していた日本と清国は朝鮮に出兵し、日清戦争が始まった。日清戦争がはじまると、議会は政府に対し全面的に協調するようになった。

  • 甲午農民戦争
  • 日清戦争
  • 下関条約
  • 三国干渉

日露戦争

日露戦争時の軍事費は、国家予算の8割以上を占め、外債はアメリカやイギリスで募集された。日露戦争の戦費は外国債以外に内債や増税によってまかなわれ、それにより国民の負担は重くなった。

  • 義和団事件
  • 日英同盟
  • 日露戦争
  • ポーツマス条約
  • 韓国併合

不平等条約の改正

条約 関税自主権 領事裁判権
年号 1911年 1894年
人物 小村寿太郎 陸奥宗光
備考 1894年に一部回復。1911年に完全に回復する イギリスと結び実現

関税自主権

関税自主権(かんぜいじしゅけん)とは、国家が輸入品に対して自主的に関税を決められる権利。

領事裁判権

外国人が、現在住んでいる国の裁判権に服さず、本国の法にもとづいて本国領事の裁判を受ける権利。

条約改正までの経緯とその後

1886年のノルマントン号事件をきっかけに、日米修好通商条約の不平等な内容改正し、欧米諸国と対等な地位を得ようとした。日本は、憲法の制定と条約改正により欧米諸国と対等の地位となり帝国主義へ傾いていきます。

その他の不平等条約

ベルサイユ条約…第1次世界大戦を終結するため,1919年6月 28日パリ郊外のベルサイユで,連合国側とドイツとの間で調印された講和条約。アメリカそのほか数ヵ国はこの条約に参加しなかった。内容には国際連盟案など戦後の世界平和を目的とした条項も存在。一方で敗戦国ドイツに,フランスやポーランドなどへの領土割譲,ライン川左岸の非武装化,オーストリアとの合併禁止,海外植民地の放棄,ドイツの戦争責任を根拠とする巨額の賠償などを課した不平等条約ともいえる。

産業革命

進む世界の一体化で、資本主義が発展し、イギリス、ドイツ、アメリカ、ロシア、フランスなど経済力などを背景に世界に進出。また、蒸気船や鉄道の発達で人や商品の動き、情報の伝達が活発化なる。

参考中学歴史の「産業革命とヨーロッパの植民地支配」のまとめ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

スポンサーリンク
トップへ戻る