中学歴史。縄文時代のまとめとポイントを解説します。縄文時代の覚えるべき出来事、縄文文化を学習します。一問一答問題で確認も行いましょう。
縄文時代
約1万2000年前ごろになると、氷河時代が終わり大陸をおおっていた氷が解け海面が上昇します。今まで大陸と陸続きでしたが、日本列島が形成されます。
このころになると、土器をつくって食物を煮炊きして食べるようになり、縄文文化がおこります。この縄文文化の時代を縄文時代といいます。約1万2000年前から紀元前4世紀の稲作がはじまるころまで続きました。
縄文土器で煮炊き・貯蔵
日本列島ができたころ、人々は食べ物を煮たりたくわえたりするために、土器をつくるようになります。このころの土器は、ねん土でつくられ、表面に縄目のもようをつけたものが多いので、縄文土器とよばれます。焼き上げる温度が低い(500~600°C)なので、黒かっ色で厚手でもろいのが特徴です。
右図のような、炎が表現されたような形(火炎型)など複雑な形の土器も作られました。
磨製石器と骨角器を使用
縄文時代になると、石を打ち欠いて作った打製石器に加えて、石を磨いて作る磨製石器も使われるようになります。日本列島が形成され、小型の素早い動物が多くなったので、弓矢の使用も始まります。磨製石器は、やり・矢じり・おの・ナイフなど、おもに突きさしたり切ったりするものに使われます。
また、石器の他に、動物の骨や角でつくった骨角器の使用も始まります。つり針・もり・やすなどの漁具に使われました。また、石器でけずってつくった木の道具(木器)使用されています。
狩りと漁と採集で食料を確保
人々は、野山で狩りをしたり、海や川・湖で魚や貝をとったりしました。狩りのために弓矢が発明され、漁には網や丸木舟も使われました。また、野山で木の実や山菜などを採集して食べ物にしたりもしています。狩りや漁でくらし、土器(縄文土器)を使っていた時代を縄文時代とよび、1万2000年前ごろから紀元前4世紀ごろまで続きました。
貝塚に残る生活のあと
大むかしの人々が食べた貝のからなどが積もっているところを貝塚といいます。縄文時代の貝塚は、1877年アメリカ人のモースが大森貝塚(東京都) を発見してから各地で発掘され、福井県の鳥浜貝塚や千葉県の加曽利貝塚など全国各地に残っています。貝塚からは、いろいろな道具や動物の骨などが出ているので、人々のくらしのようすがわかります。
竪穴住居で集団で生活
貝塚の近くなどからは、縄文時代の家のあとが発掘されています。家のつくりは、地面を円形か方形に深さ50cmほど掘りこみ、その中央に炉 をつくり、周りに丸太で柱を立て、木の枝や草で屋 根をふいたものでした。このようなつくりの家を竪穴住居といい、1軒に5~6人が住み、数軒から十数軒の集落をつくっていました。
土偶で魔よけや子孫繁栄を願う
縄文時代には、アニミズムといって、自然にあるものすべてに固有の霊が宿るという信仰がありました。そのため、土偶をつくって魔よけや、食物の豊作を願ったり、安産祈願、子孫繁栄を願いました。
右の図は、土偶の中でも特徴的な形の遮光器土偶というものです。この他にも、成人の儀式として抜歯を行ったり、死者を埋葬する習慣もありました。
縄文時代の遺跡
縄文時代の遺跡として、次の遺跡を覚えておきましょう。
- 三内丸山遺跡(青森県)…巨大な集落、栗の栽培など原始的な農耕
- 大森貝塚(東京都)…モース(アメリカ人動物学者)
- 加曾利貝塚(千葉県)…世界でも最大規模の貝塚
コメント